乳がん告知はスタートライン

切ってしまえば終わりだと軽く考えていた乳がん。乳がん告知はスタートラインにたったにすぎない。その後再発、再々発。ただいまホルモン療法継続中。治療のこと、お金のこと、気の持ち方で大きく変われることなど、私なりに体験したことを書いていくブログです。

「明るい乳がん患者」宣言で乳がんサバイバーのモチベーションを維持

私が初めて乳がんを告知されたのは2012年の5月だった。

1年8か月で左腋窩リンパ節転移。3年9か月後に左乳房局所再発が見つかった。

まだ局内再発にとどまっており遠隔転移はしていない。いずれ再発・転移をするのだろうなとは思っている。

それまでの間、治療費のため、老後のために仕事を続けている。

乳がんサバイバーは心の持ち方ひとつでその後の生活が大きく変わってくると私は思う。

私は乳がん告知を受けてから、自らを「明るい乳がん患者」と呼ぶことにした。

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 あなたは乳がんと告知された時、どう思いましたか?

私の初めて乳がんと告知されたのは、両側、つまり左右両方に乳がんが見つかった。左側はステージⅡb、右側ステージⅠaだった。

 

乳がんの告知を受けた時

私の番がきた

いまや11人に1人が乳がんになると言われている。私の番が来て当たり前だと思った。

 

死ねる切符が手に入っただった

私たち自営業の主婦は「長生きしたらどうする問題」にいつも不安を持っていた。
働けなくなって長生きしたらどうしよう。70、80、90歳になった時のことを想像して、いつも不安を抱えていた。そんな時に私は「乳がん告知」をされたのだ。

ふっと力が抜けた気がした。何十年先のことを心配しなくてもよくなったからだ。とりあえず10年先までを考えようと思えるようになった。

 「死ねる切符」という表現が適当ではないかもしれない。でも、私はいまでも人に言う時にはこの言葉を使っている。

 

私の住むところで大きな土砂災害が起こった。避難所生活が始まった。

知り合いを何人も亡くした70歳を過ぎた年配の人たちが「死にたい」と言い出した。

よく大きな災害に会うと「あの中で生き残ったのだから、あの人たちの分まで生きなければならない」とか言う。
私は「死にたい」という人たちに「あの中で私たちは死ねなかったのだから」と言った。
年配の人に対してとても失礼な発言を私はした。
でも、70超の人たちは「そうよね。私たち死ねなかったんだから」と明るく言ってくれた。
「人間、生きている以上、必ず1度は死ぬ」のだ。ただ、日常ではそれを自覚しながら生活はしていない。

私のように乳がんを告知されたり、災害に遭遇すると「死」を意識する。

「死ねる切符を持っているのだから、切符を使う日まで明るくしようね」と笑って話した。

 

乳がんになると暗くしていなければならないのか。その空気は必ず伝染してしまう。

3度の乳がん手術で私が感じたのは、「がん患者」は可哀そうとみられることだ。

だいぶ世間の意識が変わってきているが、やはり「がん」と言うと一歩引いて見られてしまう。

その空気に合わせてしまうと、どんどん暗く落ち込んでいってしまう。それだけはやめよう。

 

私が初めての手術のために入院した病室は6人部屋だった。

「ここはお通夜か?」と思えるほどの暗い病室だった。「あぁ、私も乳がん患者。暗くしていなければいけないのか?周りに合わさなければいけないのか?」と思った。

退院してからもそうだ。「乳がん」と言うと一気に周りの空気が暗くなる。

だから私は「明るい乳がん患者だから」という事にしている。すると周りの空気も一転する。

 

話はまた土砂災害の話に戻るが、マスコミの取材が何か月も続いた。私も呼び止められた。

「どんなに大変だったか、どんなに不安か」を聞き出したいらしい。私が前向きな発言をしても、そこは必要ないのだ。坂道を歩いて上る姿をカメラで舐めるように撮られる。

夜、テレビをつけたら、その大変そうに坂道を上る私の姿が突然アップで映し出された。こういうふうに使われるんだ。「はいはい、私は悲惨な住民です」。

がん患者も同じだと思う。周囲の可哀そう視線は無視して、明るく楽しくをモットーに生活することだ。

私は周りから「元気よね~」「大丈夫なん?」と言われる。だから、「はい、私は明るい乳がん患者ですから」と言うことにしている。

抗がん剤脱毛中も、ウイッグをちょっとずらして「いま、こんな状態」と見せることにしている。明日は誰が「乳がん告知」をされるかもわからない時代だ。

私の体験を少しでも活かして欲しいという願いも込めている。

それを私は「一人ピンクリボン運動」と言っている。

 

明るい乳がん患者を宣言しよう

明るくしているだけでがん細胞が消えるわけではない。また再発・転移もあるかも知れない。だから検診と治療はもちろんきちんとしなければならない。

ただ、メンタルだけは強くいようと私はいつも思う。

 

「また再発したんだ」と死にそうな声で友人から電話がかかってくる。それだけで病状がワンステージ上がってしまうような気がする。そうなると抗がん剤の副作用も大きく(感じてしまうだけかも知れない)出て、中断してしまっている。

私が乳がんのステージが高くないからだろうと言われるかもしれない。

特別ノー天気な性格だからだと言われるかもしれない。

それでは少しノー天気になってみませんか?」楽になるのは自分です。

 

また土砂災害の話に戻すが、70超の避難所で会った方の家に偶然いくことがあった。

玄関のドアが開くと私は中に入り、「また、再発してしまいました」と胸を出して見せた。

すると70超の方は「私は人工肛門を付けました」とお腹を出して見せてくれた。

私たちは60前と70超の女性だ。二人で笑った。

避難所で「死にたい」と言った方だ。明るく笑って「また、生きているうちに会おうね」と言って別れた。

 

次の記事で書こうと思っているが、2度目の乳がん手術で同部屋だったのは40代のまみちゃんだ。

1度目の入院の時の病室はまるで「お通夜の控室」状態だった。

2度目の入院の時の病室はまるで「女子会の合宿」状態だった。ここにまみちゃんはいた。偶然にも私のような性格の持ち主の集まりだった。

いかに明るく前向き(ノー天気)でいることが体にも心にもいいかということを経験した。

そのまみちゃんも土砂災害で避難所生活をしていた。

偶然、避難所で出会った。彼女の生活している教室(学校が避難所)に何度か行ってみたが、よその教室の暗さに比べて明るいこと。彼女が避難者たちを明るくしているのだ。

マスコミの人も彼女の部屋にポットを提供してお茶を飲みに通っていたそうだ。「よその部屋は暗くて」と。「その暗い部分だけを取材しているのはあなたたちなのに」と私は強く思ったけどね。

 

私たちの考え方、行動はマイノリティなのかも知れない。

でも、暗い空気も伝染していくが、明るい空気も確実に伝染していくのだと思う。

乳がんサバイバーが明るくて何が悪い」くらいの気持ちで、明るく過ごそう。

 

「明るい乳がん患者」がうつになる?

私だっていつも元気で明るいわけではない。

まだ乳がんも発症していない時のことである。

落ち込んだ友達から相談事を持ちかけられた。その時は私の精神状態も最悪の時だった。

「えっ!いつも明るいのがあなたなのに」と言われた。

私だって落ち込むときはあるし、いつも明るいわけではない。いっそこのまま引きこもろうかと思った。

その時に思ったのは「世の中、うつで苦しんで抜け出せない人がたくさんいるのに、あえて自らうつになることはない」と。やはり、明るい私でいるべきだと思った。

 

私は自営業をしている。3度目の乳がん手術後の抗がん剤治療中、私がいなくても仕事が回るようにして抗がん剤治療に入った。

だから、抗がん剤治療中は部屋でゆっくりすることができた。

確かにその時の抗がん剤は「赤い悪魔」と呼ばれる抗がん剤で確かにきつかった。

しかし、本当は寝込むほどでもなかったが、仕事をしなくても済んだため、化粧もしなければ、来客があっても私は出なくて済んだ。

だんだん、仕事場に顔を出すのがおっくうになり、部屋から出なくなった。

抗がん剤の副作用に「うつ」もある。

「あぁ、こうして抗がん剤でうつになっていくだな」と思った。

 

私には治療後、やらなければならない仕事があった。仕事でなくても趣味でもいい。何か「やりたい」という目標を持つことも大事だと思う。

自営業で乳がんのため抗がん剤治療をした知り合いが何人かいる。

しかし、彼女たちは仕事を休むことなく治療を続けた。

周りからは「大変ね」とか「大丈夫なの?」と言われる。

しかし彼女たちは皆同じ言葉を言う。

「仕事を持っていたから乗り切れた」と。

看護師さんに聞いてみた。

「どんな人が早く元気になりますか?」

「退院してやりたいことがある人」

それは仕事でもいいし、趣味でもいいし、友達とランチでもいい。

ここで、あえて「家族と…」と言わないのは次の記事で書きたい!

 

おわりに

いまは治療も終わり、ホルモン剤を毎日1粒飲むだけになっている。

「病は気から」というけれど、現にがん細胞で病になっている。

その上「気から」(メンタルで)病気を重くしてしまわないように、「明るい乳がん患者」になることを意識していこう。

私が作ったポジティブワードがある。
明るい乳がん患者・一人ピンクリボン運動・朝の搾乳・あっち向いてホイ・トマト。サメの目・お絵描き・天使の輪・6回までは許すよ・お星さまキラキラ運動・カツラetc。
聞いたみんなも笑ってくれるポジティブワードである。

次の記事で紹介したい。

「どうしてそんなに明るいの?」と聞かれたら私は答える。

何故ならば、私は一人ピンクリボン運動をする「明るい乳がん患者」なのだから!

 

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