乳がん告知はスタートライン

切ってしまえば終わりだと軽く考えていた乳がん。乳がん告知はスタートラインにたったにすぎない。その後再発、再々発。ただいまホルモン療法継続中。治療のこと、お金のこと、気の持ち方で大きく変われることなど、私なりに体験したことを書いていくブログです。

明るい乳がん患者でいるためのポジティブワード

私が作ったポジティブワードがある。
明るい乳がん患者・一人ピンクリボン運動・朝の搾乳・あっち向いてホイ・トマト。サメの目・お絵描き・天使の輪・6回までは許すよ・お星さまキラキラ運動etc。
聞いたみんなも笑ってくれるポジティブワードだ。

 

私は2012年~2017年の間に乳がんで3度の手術をし、その後抗がん剤治療放射線治療もしている。
他人から見れば「また?」とか「気の毒」と言われるのだが、私は乳がんですら楽しんでいる。まだまだやりたいことがたくさんあるからだ。

 

お通夜のような病室と、女子会合宿のような病室

初めて入院したときの部屋は皆カーテンを閉め切り、家族でヒソヒソ、メソメソ。
私は場違いなところに来てしまったような気がした。
乳がんになったら、こんなに暗くならなければいけないのか?明るい乳がん患者ではいけないのか?

2回目の入院の病室は、皆カーテンを開け、挨拶をし、まるで合宿のような病室だった。

話を聞くと、みんな治療を終えてやることが待っている人たちだった。
私を含め、メソメソしている時間のない人たちだ。

「退院したら、あれが待っている、これをしよう」と目標がある人の心は元気だ。

ケラケラ笑って、がん細胞がプチプチと弾けるような感覚になった。

 

乳がん中心の生活をしてはだめ

私には仕事があった。仕事をしなければ生活ができない状況でもある。
抗がん剤治療を受けながら、放射線治療をしながら仕事をした。

経済的にゆとりがあり、初期の乳がんがみつかった友人がいる。
乳がんに言いと言われることはすべてやり、家族からも手厚い看護をしてもらっている。しかし精神的に追い込まれて家から出なくなった。

「3度も手術して働き続けるあなたと、手厚い看護のもと生活してうつになる。どっちがいいんだろうね」と二人を知る友人が言った。

入院中、先生や看護師さんに「どうしてそんなに元気でいられるの?」と何度も聞かれた。

「私はまだまだしなければならないことが山ほどあるんです」と答えた。

 

明るい乳がん患者のポジティブワード

明るい乳がん患者
 私のことである。

朝の搾乳
 術後、毎朝胸に溜まった水を抜いてもらうこと。牛になった気分でベッドに横たわり、牛の搾乳のイメージで。

あっち向いてホイ
 1回目の手術で左右両方とも手術をしたので、乳首の位置が外よりになった。孫といっしょに「あっち向いてホイ」

トマト
 術後、私の胸を見た主人が「トマトみたい」。私の胸は「トマト」と命名される。

サメの目
 左右両側を切り取っているので、乳輪が引っ張られて、まるでサメの目のようになっている。それも愛情を込めて「サメの目」と呼んでいる。

お絵描き
 放射線を当てるところには、紫色で線を書く。消えそうになると「今日はお絵描きですね」というと、技師さんも笑ってくれる。楽しい治療になった。

選ばれし者のみが受けることのできる抗がん剤
 私は抗がん剤治療のことをこう言う。「抗がん剤」というだけでマイナスなイメージをもたれてしまう。だからちょっとプラスの特別感を出して治療に臨んだ。

抗がん剤を受ける前にバリカンで丸坊主にもした。
 これも普通では経験できないことなので楽しみながら

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抗がん剤、始める前に丸坊主

天使の輪
 丸坊主にした髪の毛も、みごとに脱毛したが、頭頂部に輪っかのように最後まで抜けない毛があった。それを「天使の輪」と名付けた。

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最後まで抜けずに頑張った天使の輪

6回までは許すよ
 抗がん剤を続けると、採血の時に血管が細くなり、針を刺すのに時間がかかる。たいてい看護師さんのほうが緊張されるので、「6回までは許すよ」ということにしている。
 すると、採血に自信のない看護師さんは最初から交代されるか、自信のある看護師さんは燃えてくる。採血の時間もまた楽しくなる。

お星さまキラキラ運動
 リンパ浮腫で左腕が腫れてだるい時は、手を上げて手首を回す。運動が大嫌いな私だが「お星さまキラキラ運動」は楽しい。
信号待ちの時などにすると、誰かに手を振っているように見えるので、知り合いかと二度見されることがよくある。それも楽しい。

一人ピンクリボン運動
 なかなか乳がんの会などには出席できないので、「一人ピンクリボン運動」と名付けて、仕事仲間に私の体験を話したりする。
「怖いから」と健診にいかない若い人も健診に行ってくれたり、乳がんの告知をされて泣いている人も私のノー天気な話を聞いて、明るく手術を受け、「明るい乳がん患者」の仲間入りをしてくれる。一人でもできる「ピンクリボン運動」だ。


まとめ

泣いて過ごすも一生、笑って過ごすも一生。
 なってしまったものは仕方がない。それも受け止めて楽しむことが、一番の薬だと私は思う。
 次の検診で「再発です。転移です。」と言われるかも知れない。それを恐れて生活するか、その時はその時でまた「明るい乳がん患者」になればいいと私は思う。

 友人から電話が入った。
 「ねえねえ、26年ぶりに乳がんの再発だってぇ!」なんと明るい乳がん患者だろう。

 私の周りには、「明るい乳がん患者」が増えつつある。

 乳がん治療を始める人にはぜひ「明るい乳がん患者」になってもらいたい。

 

 何故ならば、私は一人ピンクリボン運動をする「明るい乳がん患者」なのだから!

 

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